あるぱか倶楽部表紙展
 左が創刊号。この表紙はNo.175 Furaibow(風来坊)さん。もう、表紙からして会員さんに頼って(?)ます。そういえばFuraibowさん、風の盆バトルにも参加されてましたし、大学まで風雅の地元富山の大学を選ばれましたね。さらにはアルバイトで風雅関係の仕事も・・・・・もう、こんなファン方を持って、ソフトハウス冥利に尽きます。右の第2号はアマランス2シールやメイズクエストの絵を描いてくれたたまちゃんです。
 左はアマランスKHでおなじみのNo.351岩城匡徳さん、右はクリック・藤田の作品です。風雅クラブは広い年齢層を誇り、下は12歳から上は64歳までで、19〜23歳がピークです。もちろん女性会員も活躍されてました。
 左は知ってる人は知ってるMAKORINさん、No.365。パソゲー誌でイラスト描いたりもしてらっしゃいました(す?)。左はアマランス for Winやぱすてるぽっぷのジュリアーナ大田です。ちなみに第5号は最大ページ数を誇り、68頁もありました。
 左はNo.462海寝子さん。右は社員・高居(日本メイド協会副会長)。この時期から一気にパワーダウン。風雅システムのゲームがPC9801からWindowsへ移行するに伴って、なぜか会員のみなさんの活力が弱まっていったような、そんな気がします。
 左は再びNo.365 MAKORINさん。右も再びNo.121たまちゃん。この第10号をもって会誌あるぱか倶楽部も廃刊となりました。時を同じくして風雅クラブも閉会。風雅システムは風雅クラブにあてていた人と時間をすべてソフト開発に注ぎ始めます(杉之原名人は5号を最後に風雅クラブの仕事からすでに完全離脱してました)。それが良かったのかどうかは未だにわかりません。

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