序章
実は、わたしは恋愛沙汰で、ここ一年、富山にちょくちょくきておりました。しまいには、嫁入りして富山市民となり、明後日は披露宴というありさまです。
「おわら風の盆DVDで結ばれた」と紹介されるような縁なので、昨日は西町の前夜祭にもいってまいりました。(わたしは西町びいきなのです)
しかし、わたしとしては、風の盆は本当に楽しみですが、同じくらい深く興味を抱いていることがあります。
それは「じゃがバター」です。
ここしばらく、苦境や困難をのりこえたのはひとえに「じゃがバター」の一念でした。おわらの音楽を調べていたとき、バトルロイヤルに買い食いの奥義が描かれていて、感動しました。さすがに、八尾の人は、感傷に浸ることなく風の盆を平然とやりすごすのか、かっこいいなあと思いました。
「ケッコンがすんだらおわらにいって、胡弓を聴き、じゃがバターを存分に食べよう」と相方と励ましあい、ここまでやってまいりました。
しかし前夜祭にいってみても、じゃがバターは見当たらず、美しい踊り手たちが、人魚の尾の水をさばくような手つきで街を流す、この世のものとも思われぬ幽けき姿ばかりです。いったい屋台はどこにいってしまったんでしょうか。
バトルロイヤルの連載が5回で終わっているあたり、もしやおわら保存会により屋台撤退においこまれたのでしょうか。
風雅関係者諸氏とじゃがバターの行く末を思い、昼夜案ぜられてなりません。
いってまいりました。そして念願の屋台にも入りました。もう思い残すことはありません。が、毎日がおわらだったらどんなにか楽しいだろう、はやく来年にならないかと思うと、明日への活力が沸いて出ます。
実のところ、わたしたちは夜半1時半ごろに車で乗りつけたので、屋台は半ばあきらめていました。そのかわりといってはなんですが、お客がひいたあたりのいい具合な流しを観ることができたのでよしとしなければと、言いきかせていたのです。
そもそもおわらに関していえば、とびきりうまいのをじっくりみたいなら、それこそDVDやステージをみればよい。街の雰囲気とひとびとの勢い、そして可能な限り屋台を楽しもう、というねらいです。
西町、諏訪町と歩き、ねらいは当たり、わたしは感動いたしました。
ただしかし、道々、あきらめきれぬ思いも沸々と沸いて出ます。わたしたちが結婚後に夢見た「がらの悪そうな屋台」が揃って店じまいをしているのを見てしまったからです。せめて跡形もなければ諦めもついたのに、と、さみしさを押し殺し、がらの悪くない、むしろ品のよいおじさんのやっている「こんにゃく味噌田楽」を買い食いしました。これはあったかくておいしかったです。ことにお味噌が秀逸でした。
そのうち下新町(だったか)にさしかかりました。なにか禍々しい予感がします。急ぎ足で坂を下り、ふもとちかくまで降りたところ、不意に灯りが。
屋台村がありました。
屋台はしまっているものとあきらめていましたが、ここは営業中?ではないですか!
怪談で、道に迷った旅人がついに宿屋を見つけたシーンのような、謎の迫力がありました。そこでわたしたちは、涙を流しながら駆け寄り、問答無用でアサヒスーパードライとたこ焼きを注文しました。
入店すると、紅白幕を敷いた長いすにコドモ用ちゃぶ台をのせた、いい感じの内装でした。
安心と喜びで、満面の笑顔です。
杉之原名人たちはこんなところにも寄ったんだろうか、でもここにはけっこうまともな食べ物しかないから避けたかもなあと、想像していましたところ、勢いのある兄さんが隣にどっかり座って、はい2名さまとかどうもねとかおでん4丁とか、大声で状況を中継していました。
どうやら兄さんはこの屋台村を仕切ってるみたいでした。
あとの人材は、ところどころ(クスリかトルエンで)歯がなかったりするおじちゃんが1ダースと、眉毛の剃りあとも初々しい、キンキキッズみたいな若者です。おでんの注文を『4丁』とかいう単位で呼ばわったのも若者です。この若者は、実家が豆腐屋かラーメン屋かもしれません。
「晴れてよかったですねえ」
わたしがいうと、兄さんは最初はちょっと警戒した雰囲気でした。
「昨日はすこし降ったけどね。今日はすごい人出だった」
全国行脚の人か富山の人かどっちだろうと尋ねたら、富山の人だそうでした。ふだんは競輪場に住んでる、と兄さんはいっていました。勝ってるのかときいたら、ボスにきこえないように『いまいちだな』と耳打ちされました。
このあたりでわたしたちと兄さんは意気投合し、会話が弾みだしました。
どこからきたのかと尋ねるので『東京だけど富山にいま住んでる』とこたえますと、兄さんは、
「東京は住める気がする。大阪は住めないな。路地裏とかこきたなくておっかない」
といいます。歯ぬけのおじちゃんが『オレはなんとかというところで教育を受けた』と自慢しているのを指して、兄さんは、
「あいつ新宿二丁目にいたんだ、東京のやつは理屈っぽい」
とからかいます。みんなして『二丁目となると、ケツが危険だー』と、しょうもないネタで笑いました。
たこやきの紅しょうがを大盛りにしてくれといったことから、漬物の話になりました。
「大盛りあたりまえよ。わたしなんか、カレーに紅しょうが、1/3はいれますよ」
といったところ、周囲がしーんとしたので、不安になりました。そのとき、兄さんが控えめに、礼儀正しくつっこんでくださいました。
「それ、福神漬じゃなくて?」
東京の人はカレーに紅しょうがを入れるのかと思ったそうです。あぶなく間違った文化を伝えてしまうところでした。『おわら最終日のよなか3時、屋台で念願を遂げて大盛り上がりしている女』というくくりではなく、『東京』とくくられるところが、なんか興味深かったです。
しかし、ともあれあのつっこみかたは奥ゆかしくて、富山の兄さんっていいもんだなあと思いました。
すっかり気をよくしたわたしは、
「この店はいい店だ。来年またくる。ごちそうさま!」
と息巻いて、おじちゃんと兄さんと若者ににこにこと大きく手をふり、相方に抱きかかえられるように連れ去られて、ゲームオーバーでございました。
なお、相方は、ビールとたこやきで500円とはどういう明細だろうと気にしていました。いやはや。わたしら、たこやきの食い逃げをやらかしたかもしれません。
来年はどうにかしてじゃがバターにありつきたいと思います。また、富山名産品のアマランスもどうにかプレイしたいものです。386マシンにMS-DOSとWindows3.0を積んだ98マルチをこないだ処分してしまったことが今更悔やまれます。
あとから読み返すと、こんにゃくには飾り包丁をいれてほしかったとか、兄さんと意気投合したのは「富山けいりん」CMの、りんりんりん、とか歌って踊れる選手がすごいという話が直接の要因だったとか、ケツをだいじにするためにパンツをはこうと話したとか、そういうどうでもいいことが走馬灯のように思い起こされます。
来年は気を入れて書きます。(終)
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