天使の誤算

第二話


 俗称「ロケット花火」。商品名は色々あるが、こう言えばほとんどの人がそれを思い浮かべることができるだろう。火薬の詰まった紙筒に細長い棒がくっついているやつである。導火線に火を点けると勢いよく火を吹き出して空高く飛び上がり、物にもよるが最後は轟音とともに爆発する。私も少年時代はこれでよく遊んだものである。今でも根強い人気があるらしく、花火コーナーなどでは必ず売っている。

 私が凝っていた頃はこれの改造が流行っており、最後に爆発しないように火薬圧を下げたり(飛距離を稼ぐため)、大型のロケット花火に小型の爆竹をくくりつけて「連発式」と称してみたりしていた。今でも同年代の友人と話をしていると、この話題で盛り上がったりする。過激な例をご紹介しよう。

 某友人は初めてロケット花火をしたとき、細長い柄のようなものがついているため、てっきりそれが「持ち手」であると思いこんでしまった。右手でしっかりと「持ち手」を握り、導火線に点火。次の瞬間、勢いよく火花が手前に吹き出してくる。彼は飛んで行かないように必死に熱さをこらえて握っていたそうである。そして最後に目の前で派手に爆発。『いやぁ、過激な花火があるものだ』と素直に感心していたという。

 翌日、「正しい遊び方」を友人に教わった彼は、今度は事前に空きビンを用意し、それにロケット花火を立てた。だが、彼が用意したのは牛乳ビンだった。口の広いビンに立てようとすると、どうしても角度がついてしまう。つまり垂直にはならない。根が大胆な彼はそんなことは気にせず、期待に胸弾ませて点火。花火は「バシュ!」と斜め前方に飛び出し、狙いすましたように隣の家の二階の窓の中へ。『げっ!』と思った瞬間、「バーン!!」と爆発音。数秒後、目を丸くした婆さんが恐る恐るその窓から顔を覗かせた。彼は一目散に逃げたという。

 何というか、まぁ、危険な話である。だが、危険であると同時に実に迷惑な話でもある。昼夜かまわず、住宅密集地などでこれをやられると住民はたまったものではない。苦労して寝かしつけた赤ん坊も、一発の花火で火が点いたように泣き出してしまう。まさしく「引火」である。中には笛のような音を出しながら飛ぶ物もあり、困ってしまう。

 それでは場所を選べばどうだろうか。まず考えられるのが河岸や海岸である。なるほど、目の前には大量の水があるし、安全な広い空間がある。しかし、本当に周囲に迷惑がかからないのであろうか。周辺に民家がなければ騒音もさほど気にする必要はないだろう。しかし、花火には燃え残りが付き物であることを忘れてはいけない。海水浴に出掛けると、必ず浜辺には花火の燃え残りが散乱している。その中でも多いのがロケット花火の柄である。不発のものなどは紙筒ごとだから目立つことこの上ない。海に向けて飛ばしたものなども波に乗って帰ってくるのである。そう、ロケット花火は後始末が難しいのである。我が家は水田地帯にあるが、稲を刈り取った後にはやはり花火の燃え残りが現れる。山間のキャンプ場に来ても、木々の間には燃え残り。実に興ざめである。

 自分のしたことには責任をとるのが大人だと思うのだが、どうもその大人が少ないらしい。子供の仕業であったとしても、子供の行動の責任をとるのも大人なのであるから。

 ロケット花火のルーツは中国である。それはお祭りの一部として行われるもので、竹筒に火薬を詰めた長さ数メートルの超大型のロケット花火を大河に向けて飛ばす。邪悪な物をロケットに乗せて遠くに飛ばし、爆破してしまおうというわけだ。これに似たもので「爆竹」があるが、これもお祭りやお目出たい席で使用して、大きな音で悪魔をおっぱらってしまおうという理屈のものだ。ところがそんな風習のない日本では、単なる子供たちの遊び道具である。これが問題の原点であろう。

 何事においてもそうであるように、楽しいことには後始末が付き物である。ロケット花火にしても始末さえきちんとできるのであれば、私は大いに楽しんでもらいたいと思う。風の無いときに細口の空ビンに立てて飛ばせば、燃え残りはほぼ真下に落ちてくる。後は掃き掃除をして水をかけて持ち帰ればよい。もちろん場所と時間を選ぶのは言うまでもない。また、そんな場所が無い場合はやらないことである。無い物ねだりは大人げない。