連載第26

 ロは遺伝する。いや、ゲロを吐きやすい体質が子に伝わるという意味である。私自身ゲロ体質なのだが、不幸にも娘がまたゲロ体質なのだ。

 幼児の頃は特に酷かった。車酔いはもちろん、消化の悪い物を食べては吐き、風邪をひいては吐き、挙げ句には咳払いのついでに吐いていた。だが私も妻も可哀想とは全く思わなかった。キーワードは「間(マ)」である。

 とある小旅行を家族でしたとき、夕食にパスタを食べた。その後、距離はあったが雨の中を宿泊先まで徒歩で向かった。幼い娘も頑張って歩いた。皆で風呂に入り、早々に床に就いた。その日、私と娘は同じベッドで眠った。

 「ゴロゴロ・・・っはぁん・・・ゴキュッ!」

レム睡眠中だったのだろうか、ふっと耳慣れない音に意識が戻った。完全に寝ているはずの娘が発する効果音である。次の瞬間、それがゲロの前フリであることを悟った私は、とっさに両手で器を作り娘の口の横にあてがった。コンマ5秒後、生暖かいゲル状の物質で器は満たされた。それはまるで計ったかのごとくスレスレいっぱいになったところで止まり、ホテルのシーツは救われた。イクラと海苔のパスタの変わり果てた姿を抱いた私は、それをこぼさないよう体が攣りそうになりながら起きあがりトイレへ向かった。妻も万一に備えてビニルシートを敷くなど深夜の作業に追われた。が、楽になった娘は気持ちよさそうに熟睡である。私たちは娘に「寝ゲロの達人」の称号を贈ることにした。しかし心の奥底では『寝る前に吐け!!』と呟いていたのである。

 今度も旅行中の出来事である。宿泊先のチェックイン時間が迫っていたため、私は急いで車を走らせていた。だが山道の続く国道である。ゲロ体質の娘が無事なはずがなかった。

 「気持ち悪い・・・」

車中スナックやジュースを口にしていたせいだろう。

 「あと少しで着くから頑張って!」

妻も私も彼女を励ました。彼女もそれを聞いて我慢する意志を固めたようだった。

 数分後、目的地が見えた。彼女を励まし続けていた私たちは、

 「よく頑張ったね。もう大丈夫、車を止めたらすぐにトイレに行こうね。」

と労いの言葉に変えた。彼女は安堵の表情で頷いていた。

 駐車場に車を入れ、サイドブレーキを引き、エンジンを止めたそのときだった。

 「びちゃっ!びちゃびちゃびちゃ・・・」

安堵から絶望へ。いや、それよりも私たちの脳裏に浮かんだのは「なぜ?」の二文字だった。

 なぜ、車が止まってから?
 なぜ、車の中で?
 なぜ、座席シートの上へ?
 なぜ、無言のまま?
 なぜ?なぜ?なぜ?

彼女にも言い分はあるのだろう。だが彼女がとれた行動はいろいろあったはずだ。よりによって最も被害が大きくなる行動をとらなくても・・・

 疲弊した体で清掃作業に30分以上も費やす羽目になった私たちは憮然として宿の食卓についた。ところが吐いてから時間が経過していたせいだろう。娘はすこぶる体調が良くなったらしく、上機嫌で食事を平らげていた。しかし、さっきまでゲロと格闘していた私たちに食欲が沸くはずもなく、ひたすら皿の上の物を胃に収めた。ゲロ一発で「楽しい思い出の旅」は、「思い出したくもない旅」へと変貌を遂げたのである。

 遺伝だから仕方ない。いや、そうではないだろう。間の悪さは遺伝ではないはずだ。何かにつけてトラブルメーカーな娘の話はまた別の機会にとっておくことにしよう。