風雅恐怖新聞
バグ退散おふだ by 杉之原名人
 「コンピュータ」と「お守り」。おそらく一般的にはこの関係はミスマッチと思われるであろう。しかし、これが切っても切れない間柄になってしまったら………そんなお話をしよう。

 私は以前、某大手コンピュータメーカーの下請けの仕事でメインフレームを使用していた。メインフレームとは大型コンピュータのことである。
 アルミダイキャスト製のフロアに人の背丈よりも高いCPUユニットが並び、直径70pもあるハードディスクが何台もうなりをあげ、その間にちょこんとメインコンソールがあるという、あれである。そこで仕事しているとメーカーの人が話しかけてきた。

  「君の家は神社だそうだね」
  「ええ、そうですが・・・・」
  「ウチのマシンも調子悪くなったらお札をお願いできるかな」
  「はぁ?」

 とあるマシン室でのことである。ここも例に漏れず、毎日メインフレームがうなりをあげ、プログラマたちが右往左往していた。そんなある日のこと、突然システムがダウンしてしまったのである。パソコンでいうところの暴走である。仕事途中のプログラマは真っ青。急いで復旧させたが、1日も経たないうちに再びダウンしてしまう。当然、メインフレームにダウンされていたのでは大損害である。日々、必死の原因追求作業が繰り広げられた。しかし努力も虚しく、原因どころか一時的な対処方法すら見あたらない始末。誰もが神にもすがりたい状況に陥ってしまった。
 そんなときに、ひとりのプログラマが近所の神社へ行って厄除けのお札をもらってきた。実際に神にすがったのである。彼はそのお札をマシン室の一角の鴨居の上に安置した。
 その日からである。一日に一回は起こっていたシステムダウンがピタリと治まってしまった。誰一人、システムやプログラムには手を入れていないのにである。『そんな馬鹿な・』と思われるかも知れないが、事実、それ以来一度もダウンしないのである。普段は仏壇にさえ手を合わせない連中も、このお札には手を合わせたという。
 月日は流れ、そんな騒動が忘れられたころ、マシン室の管理責任者が代わった。新しい責任者は以前の騒動など知らない。マシン室の片隅のお札に違和感を抱くのは至極当然であろう。

  「なんだ、これは?」

その責任者がクリスチャンであったかどうかは定かではないが、彼の命令によってお札は取り除かれてしまった。
 その翌日からである。例のシステムダウンが再発しはじめたのは。責任者の慌て様は容易に想像できるだろう。以前と同じ騒動が繰り返された。
 さすがの責任者も以前の話を聞き、再び例のお札がマシン室に戻された。またもやピタリと治まったのは言うまでもなかろう。ついにマシン室にはそのお札のために神棚が入れられ、現在も謎のバグからメインフレームを護り続けているそうである。


形見人形 by 杉之原名人
 わが家には年に一度、正月の七日間だけ居間に飾られる一体の人形があった。これは母が伯父から貰ったもので、高さ20p程度の小さな少年の木彫り人形である。人一倍人形好きでもある母は、これに「太郎ちゃん」と名前をつけ、それはそれは大切にしていた。
 この人形は三等身で、細く切れ長の目をしており、ちょっとみるとかなり不気味な印象を受けた。だが、日本の伝統芸術として見れば、ごく一般的な表情でもあった。
 20年程前になるだろうか。当時高校生の私は正月に友人を家に呼び、居間の炬燵で蜜柑を食べながら世間話をしていた。すると友人が人形を指さして言うのである。

  「おい、あの人形、気持ち悪くないか?」

あらためて言われてみると、確かに不気味でもある。しかし、子供の頃から見慣れているせいか『こんなもんだろう』という感覚でしかなかった。
 だが、友人は続けて言った。

  「なあ、悪いけどあの人形、他に移してくれないか? 俺、気持ち悪くて落ち着かねーんだ」

 そこまで言われては仕方がない。私は「太郎」を隣の部屋に移した。
 数日が過ぎた。例年ならばすでに母は「太郎」をしまっているはずであるが、なぜかその年はずっと私が移した場所に飾りっぱなしになっていた。そして「太郎」の身体からは何やら異様な雰囲気が漂いはじめていたのである。
 その日、私は学校で友人に「太郎」のその後を訊ねられた。彼は気がかりで仕方がなかったらしく、まだ飾ってある旨を話すと、早くしまうように忠告するのである。
 その夜、この話しを母にすると、「そういえばちょっと変かもしれないね………」という。「太郎」の周囲には、それくらいにおどろおどろしい空気が漂っていたのである。
 母の話しでは、「太郎」をくれた叔父さんというのが、母に「太郎」を渡したしばらく後に亡くなっているのである。問題はその叔父さんの職業で、国の諜報部員、俗に言うスパイだったのである。彼は大陸で諜報活動中に非業の死を遂げたという。
 数日後、母は実家へ「太郎」を持っていき、祖父にお祓いをしてくれるように頼んだ。祖父が言うにも、やはりちょっとおかしいというのである。
 お祓いが始まった。祖父が祝詞の奏上をはじめるとしばらくして異変が起こった。「ピシッ!!と音がして「太郎」の頭の一部が欠けてしまったのである。もちろんお祓い中の「太郎」には誰も触れていない。
 異変はその程度だったが、祖父が言うには、何かよくはわからないが憑き物があったという。しかし不思議なのは、お祓い後の「太郎」の顔からは一片の不気味さも感じられなくなっていたことである。
 現在「太郎」は母の実家の神殿横の間の茶棚に飾られている。以来、「太郎」は愛らしい表情で来客を迎えている。


異世界からのコーリング by No.91 ディクト・S・W
 小学生のころはよく物が消えたものである。ここ10年ほどなかったが、最近1回あったのだ。

 手から落ちた50円玉が目の前で消えたのである。座った状態で手から床まで約30p、途中には私の足があったので実際には15p。この間に消えてしまったのである。足に当たった感触もなく、ポケットの中に入ったわけでもない。思い違いでもないはずである。なつかしさのあまり感激し、鳥肌になってしまった。


狂気のピアノ by No.359 N.Y
 私の通っていた小学校には体育館があり(当たり前)その中にピアノは置いてありました。そのピアノはいかにもといった感じのグランドピアノで、普段はカバー&カギがかかっていました。そのため普段生徒が触れることはなく、特別な行事のときに、音楽の先生か一部の生徒が弾くことになっていました。
 ところが、弾き手の少ないそのピアノは、なんと自ら音を出すのです。もちろんピアノにそんな機能はなく(当時、自動演奏できるピアノが一般レベルであったかどうかも分からないが)、私がかつて一度弾いたときも普通のピアノと変わらないように感じました。しかし、クラスメイトのI、Y、Kらの証言によると、誰もいない昼の体育館で確かにピアノの音がしたというのです。ちなみに体育館と音楽室はべらぼうに離れていて、音楽室のピアノの音と混同することは考えられません。それでも、狂気のピアノと銘打たれたそのピアノは、今でも体育館で音を出しているはずなのです。


人形ケース by No.65 T.A
 私が小学四年生の頃、北海道は●高町立●高小学校に通っていた頃の話です。

 その小学校は、当時改築4年の新品校舎で、お決まりの怪談とは縁遠いものでしたが、そこの蔵品の中に江戸時代から伝わるひな人形と明治初期の青い瞳のセルロイド人形があり、それは毎年ひな祭りの前後1週間玄関ホールの飾りになっておりました。(今でも恐らく、そうでしょう) そのため、その人形にも、あまたの例にもれず”髪が伸びる”、”夜泣きする”などのウワサがつきまとい、小さかった私はあまり近寄らなかったのです。
 その年の夏休み、毎年恒例の学年合宿が行なわれ、それは学年毎に一泊してカレーを食ったり、肝試しをやったりと、まぁ様々な催しのある楽しい行事なのですが、その年の合宿で面白いことがありました。
 夜更かし、それも男子ばっかで1クラス占領してのことが楽しくて、私達はスリーピングバックをよせあって”誰それと誰それがくっついた”の”はなれた”の”かわいい”のと、まぁ色ボケの話しをしておりました。時計は12時をすぎたかどうかという頃、興奮して眠れない連中は更に変な会話に興じていたところ、友人N君がふと廊下に人影を見つけました。 見ればとなりの教室で寝ているはずの同室の女子がふらふらと歩いているではありませんか。トイレか?、とも思いましたが、トイレは少し手前、ここまで来る必要はありません。ドアを開けて覗いていると、そのまま階段を降りていくではありませんか。私たちは、そっと後をつけてみることになりました。
 その子は、ふらふらと玄関ホールを素通りして体育館方向へ。そして、向きを変えると用具室の前で立ち止まり、その鉄製のドアを開けようとノブを回しはじめたのです。ところが当然カギがかかっている。しまいにその子はドンドンと狂ったようにドアを叩き始めたのでした。

  「おい…どうしよ」

  「代表委員、止めろよ!」

と、私(つまり代表委員)を前方に押し出してその子のもとへ行くことに。私は観念して

  「あの…ねぇ?」

  「あ…姉ちゃん。…ここ、開かないの?」

そう答える彼女の声はうつろ。ふだんコロコロよく動く子なだけにそれは恐ろしく感じました。

  「開けてって、鍵は先生のところだし…こんな時間、何出すの?」

  「そう、ここ。あたし、こわしちゃったの」

  「何を?」

  「人形のケース、棚から落として…」

  「へ?」

 そしてまたドアを開けようとするので私たちは何とかなだめすかして、引きずるように彼女を連れていきました。が、その時の彼女の抵抗する力は凄まじいものでした。
 次の日先生に聞くと、確かに青い目の人形のケースは前日のドッヂボールの用意のとき、あやまってこわしていたそうで、そのことを先生に謝っていたそうです。しかし、私たちはそんなことは初耳。しかも彼女は全く昨夜のことを憶えていないという。しまいに、昨夜の夜更かしを先生に怒られるは、その子には(こともあろうに私が)思いきりビンタされるは、というオチがついてこの事件は終ったのでした。


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