ふりむけばゲロ
“地響き”に捧ぐ  No.31 Y.R
 これは中学校教諭が若い頃体験した帰宅途中の事件である。
 普段通りの一日を終えた彼が電車に揺られていると、これといった前触れもなく嘔吐感が襲いかかった。そのとき彼はこの電車が満員であることを呪った。彼は耐えるしかなかったのである。

 「胃袋がグネングネン躍っているのがわかるんだぜ。」

彼は当時の状況をこのように説明している。
 さて、そろそろ限界に達するかという頃、電車はようやく駅に着いた。ドアが開いたので彼は慌てて外に駆けだした。しかしそのとき、彼は大量にゲロを吐き、力尽きてその場にベチャリと倒れ込んだのである。周囲の人も驚いたが、一番慌てたのは駅員であった。

 「大丈夫ですか!?」

 大丈夫なわけがない。これは正常(?)なゲロではない。彼のゲロにはかなりの量の血液が混ざっている。ともかく危険を感じた駅員は死にかけの彼を駅員室に担ぎ込んだ。次いで身分証を調べ、家に電話をした。
 そのころ彼の意識は極度の腹痛によって呼び覚まされた。ゲロと血を吐いてなお胃は苦痛によじれる。非常に辛い。
 それはさておき、駅員の適切な処置により、彼の母親が駅に迎えに来ることになっていた。にもかかわらず、いつまで待っても来ない。本人もさることながら、ゲロまみれの男を世話する駅員もかわいそうである。
 それからずいぶんと面倒を起こした後、ようやくやってきた彼の母曰く、

 「大学の兄ちゃんのことかと思って大学まで行ってきた。」

第一話 Eの恐怖  No.75 S.A

 あれは私が高校1年の時だったろうか。私はとんでもないものを見てしまった。
 その日学校では、中間試験が行われていた。誰もが沈黙を守る厳粛な空気が漂う1年1組の教室で事件は起こったのである。私は廊下から3列目、前から2番目の席でテストを受けた。
 テストが始まっておよそ30分・・・・そろそろ私の顔に不安と焦りと冷や汗と鼻水が現れてきた頃だった。私は集中力の衰えてきた自分に喝を入れようと、ひとり静かに目をつぶった。ちょうどそのときである。後ろの方で、かすかなうめき声のようなものが聞こえた。最初は気のせいかと思った。しかし違った。それどころか、それは教室を恐怖のどん底に叩き込む前兆だったのである。
 間もなくうめき声の第二声が発せられた。それは誰の耳にもはっきりと聞こえ、そして大変苦しそうな声に聞こえた。次の瞬間、うめき声が言葉に変わったのである。

 「先生・・・・おええっぷ!!」

声と同時に何かの飛び散る音がした。そう、何か液体のような・・・・
 廊下側の一列目前から6番目、男子生徒Eがその主であった。彼は声を絞って必死に助けを求めたのであった。しかしそのとき、彼の耐久力はとうに限界を過ぎていたのである。
 教室が凍りついた。現場を見るのが怖かった。やはりげろである。青ざめた顔のEと、彼の席の前と後ろで泣きそうな顔をしているIとO、そしてEの机の上に広がるげろだけが私の目に映った。
 以来、誰もが彼との間合いに気をつけるようにしている。(第一話・完)

第二話 Kの恐怖  No.75 S.A
 あれは私が中学三年のときだっただろうか。私はとんでもないモノを見てしまった。
 その日は学校行事の一環『マラソン大会』なるものがある日だった。生徒全員でバスに乗り込み、わざわざ一時間以上もかけて近郊の森林公園まで行き、およそ10キロものマラソンコースを走破するのだ(坂道というかほとんど山道。あれがマラソンコースとはお笑いぐさである)。
 いやもう走った走った。1、2年のときの経験から『一度でも止まったらアウトだ!』と思っていた私は、多少ペースは遅かったが一度も止まらずに完走した。順位は50番台、まあ早いほうだった。そして私は、完走した満足感の中で、ゴール直後にげろげろー・・・・というのはウソで、本当の恐怖は帰り道にあったのである。
 やはり10キロは辛かった。帰りのバスの中は眠りこけている奴が大半を占め、ほとんど気づかぬうちに学校の近くまで帰り着いていた。恐怖はその直後に起こる。
 学校の前の通りにバスが停まり、降りてすぐに解散。皆、各々の帰路についた。私も家が近所にある友人Nと一緒に歩き出した。そのとき私たち二人は後ろから走ってくる人影に気づいた。振り向くとそれは友人Kであった。私たちは彼がこちらを見つけて駆けてきたものと思った。が、それは大間違いだったのである。Nが「おーい」と声を掛けたそのとき、不意にKの走路が左40°に折れ曲がった。そして私たちのいる場所の真横に生えていた街路樹に向かっていき、その根元に向かってやったのである。(距離わずか50cm!)

 「おええええっっ!(びちゃ)」

 「うわああっ!(ひっかかりそうになった私とN)」

私とNはこのとき、日本語混じりの英語でこういった。

 “I saw げろ 直視”(直接見たという意味を含む「げろ」にかかる補語)と。

 Kのあだ名は、その吐き出された物の形状から『バッキー(ばっちい・黄色い、の略語)スライム』と改められた。ああ、思い出しただけでも気持ちが悪い。(第二話・完)

色の不思議  No.65 A.T
 ゲロというものは食べたものによって様々な形態を呈するということは周知の事実であろう。しかし、なぜか色は一律似通った、俗に言うところの『肌色じみたゲロ色』である。ところが、今回私のお話しするのは「ゲロの色は時には一変する」という恐怖の体験談である。

 あれは去年の秋口のことだった。当時高校二年生だった私は、前日の文化祭の打ち上げパーティーでしこたま飲み食いして(主に飲む方だったが)胃腸を完全に痛めていた。それだけならまだよかったのだが、季節の変わり目、軽い風邪をこじらせて非常に身体がだるかった。昼休み。私は胃の調子が悪いにもかかわらず、学食で定食を食べた。その日のメニューは『豚カツ・揚げ餃子・ポテトサラダ・味噌汁』という、揚げ物を主体とした「胃に悪い物」ばかりだった。その上、この豚カツが曲者で、豚カツとは名ばかりの厚さ3ミリの「ころもあげ」である。脂っぽいことこの上ない。あまつさえ、その断面図は半ナマのため、『完全なピンク色』をしていた。ここで食べるのをやめればよかったのだが、自分の身体に自信を持っている私は、ためらうことなくそれを食したのだった。
 しかし、それは着実に私の胃を蝕んでいたのだった。始業のブザーが鳴って、5時限目の化学の授業が始まった。「この化学式はこう変化すんのしゃ。分かるすべ?」M教諭の仙台弁の授業をぼおっと聞いていた私は、ふと、胃から何かが喉の方へ逆流してくるのを感じた。同時に激しい腹痛に襲われた。自分で顔面から血の気が引いていくのがはっきりと感じられる。だんだんと口の中が酸味を帯び始め、明らかにこれはゲロの兆候だということがわかった。
 そして第一波が襲ってきた。私は必死のそれを飲み込むと、そのまま30分間耐えた。しかし、根本的な解決策が必要だった。すなわち「先生、吐き気がするのでトイレ行っていいですか?」と告げること。だが、予想に反してM教諭の反応は冷たかった。

 「あん?あと10分だっちゃ。小テスト受けてからにし。」

非情にもそう言うと、10分間テストを配りはじめたのだった。
 私は絶望と共に小テストを見やった。こうなったら被害を最小限に食い止めるしか救われる道はない。悲壮な決意で口を押さえると、力いっぱい口の中にゲロが溜まるのを感じた。そしてそのゲロは口の内容積を遙かにオーバーして、指の隙間から漏れ始めた。

 「えろろろろろろろ・・・・・・・・」

 皆の視線が私のところに集まった。そして彼らは、こともあろうに指の隙間から『ピンク色のゲロ』を流している私を目撃してしまったのである。私は皆の視線を浴びながらトイレへ突っ走っていった。
 それからしばらくの間、私は「ピンク色のゲロを撒き散らした」と、他のクラスの者からも冷笑される羽目になったのだった。
 なお、なぜゲロがピンク色だったのかは定かではない。

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