ふりむけばゲロ
天丼  No.17 H.T
 すいません、げろ話です。

 先日、風邪をひいたとき、次の日がちょうど休みだったので、翌日半日寝てから買い出しに出かけました。その折り、ここ石川県金沢市の近江町で「うまい店」として知られる『井のや』という店に入りました。私は前々から食べてみたいと思っていた天丼を食べました。(海老天丼といい、エビが16匹入っていた)

 食後、胃が何となく重いと感じました。私はそこから家へ帰ったのですが、車で1時間という道のりをG線上を漂いながら運転しました。家に着いて30分。「ううっ、くっ、苦しい!」と思い、トイレへ。しかし、なかなかゲロが出ません。待ちきれず(?)指を喉に突っ込み、無理矢理出そうと試みたところ、出るわ出るわ天ぷらが。しかもエビは原形そのままで、尻尾も付いたまま。私は「ゲロを吐いた」という苦しさより、「天丼をそのまま出した」という苦しみに苛まれ、布団にくるまりました。

雪解け  No.140 Y.M

 大したことじゃないのですが、友人が先日、謝恩会に出席した折に、コップ一杯のビールを飲んだそうです。
 ビールがあまりにまずいので、もっぱら食べる方にまわったそうなのですが、よほどお酒に弱かったのでしょう。たった一杯で頭が重くなってきて、ふらふらになりながら帰路につきました。
 折しも雪の降りしきる深夜。自転車を押し押し家に辿り着き、玄関の扉を開けた瞬間。彼は妙に安心したのか、その場に散らばる靴の上にぶちまけてしまいました。玄関はゲロだらけになりました。
 しかし、ゲロは全く止まろうとしません。彼は外に出ると、その日食べた料理のすべてを真っ白な雪の上に豪快に吐きまくりました。それでも彼は痛む頭を抱えながら、根性で玄関やアプローチを水で洗い流し、ビデオのセットもきちんとこなして(?)布団に潜り込みました。その後は少々玄関が臭うだけで、まぁしかたないなぁという程度のものでした。雪はその後二日間降り続けました(ちなみにここは山形です)。
 四日後。みょーーに暖かい日がありました。お天気情報でいうところの四月中旬の陽気は、町中の雪を一気に解かしていきました。朝早くから学校へ実験に行っていた彼がアパートに帰ってきたのは午後3時ごろ。道の先から何やら異様な臭気が漂って来るではありませんか。
 嫌な予感を胸に、彼は急いで路地を曲がりました。そこには鶏の唐揚げだの、寿司のシャリだのがジュースと胃液にまみれて散乱し、彼の部屋の前を異臭で満たし、自己主張していました。
 そうです。彼が四日前に吐いたゲロです。そのゲロは雪の中で凍結し、今日という日を待ちかまえていたのです。しかも、そのゲロは雪解け水と共に地面に染み込んでおり、少々洗い流したくらいでは臭いが治まりませんでした。
 結局彼はスコップで地面を削ぎ取るとどこかに投げ捨て、研究室から持ち出してきた怪しげな薬品(彼は科学系)を大量にぶちまけて事後処理を完了しました。
 それにしても、彼の部屋の近くに住んでなくて本当によかった・・・・

脳天気  No.2861 杉之原名人
 大学のクラス別コンパ。2年生も後期になると堂々と酒が飲める年齢に達する者が多くなる。その日は駅前の老舗食堂の二階広間で久々の飲み会をするこになっていた。3年になると学科ごとにクラスメイトたちが散っていくので、最後のコンパというわけだ。1クラス60人で男女半々。盛大なものだった。
 私は生来肝機能が弱いらしく、酒はあまり飲めない。顔が赤くならない代わりに青くなるタイプである。その日も幹事でもないのに、潰れた連中の世話係になんとなくなっていた。
 店から全員が出たことを確認し、自分も帰路につこうとしたところ、歩道の花壇の縁に座り込んでいるクラスメイト1名を発見。首をダラリと下げ、ほとんど眠っている模様。横にはもう一人、シラフのM君が心配そうに立っていた。

 「どうしたの?」

私がM君に声を掛けた。

 「いやぁ、起きないんだよ。」

 「すでに熟睡モード?」

 「そうみたい・・・・」

これは困った事態である。と、突然、

 「ゴッ!ゴボバベッ!ゴボゴボゴボゴボゴボゴボ・・・・・」

ものすごい寝ゲロである。当人がうなだれていたため、幸いにも衣服への付着は最小限に留まったが、その後の様子がおかしい。と同時に、それに気づいた食堂のおばちゃんが、おしぼりを持って駆けつけてくれた。

 「ちょっ、ちょっと様子がおかしいわよ・・・」

当人のY君の意識が全く戻らないのである。ゲロを吐いた後も唾液をだらだら流している。顔を上げさせると白目を剥いている。さらにM君の証言。

 「こいつ、ウイスキーのボトル抱えて、一人で空にしたらしいんだ・・・」

・・・やばい。これはやばい。とても危険な臭いがする。追い打ちをかけるように、Y君がブクブクと泡を吹き始めたので、おばちゃんに救急車を呼んでもらった。
 約3分後、救急車到着。隊員のおじさんが手際よくY君を担架に乗せ、救急車の中へ。そして、

 「はい、君たちも一緒に入って!」

当然の成り行きである。
 私たち3人を乗せた救急車は一路救急指定病院へ。が、駐車場に止まると、隊員の一人がペンライトでY君の瞳孔を調べている。さらにボールペンを取り出すと、キャップで足の裏をググッとなぞりはじめた。

 「まずいねぇ・・・反応無いよ。」

最悪のシナリオに焦る私たち。

 「たっ、助からないんですか?!!!」

詰め寄る私たち。

 「いや、それはまだわからないけど、こりゃすぐに入院させんといかんわ。」

そう言うと、救急車は近くの大病院へ。Y君は救急処置室へ運ばれ、私たちは彼の家へ連絡するよう病院側から頼まれた。
 ここで問題が発生する。Y君について知っていることといえば、名前と県内の実家から通っているということだけ。彼の持ち物からは何もわからなかったのである。結局私が自宅の母に頼んで名簿を調べてもらい、実家の電話番号を手に入れた。
 約30分後、Y君のご両親が到着。医師から説明があり、命に別状がないことを聞いたという。すでに時間は午前2時。ご両親からはお礼の言葉とタクシー代をいただいた。一通りの決着がつき、M君と共に解散。悲しかったのはタクシー代が2千円以上足りなかったのと、救急隊員のおじさんから散々怒られたことである(なぜ私だけが?)。事件にゲロが絡むとおおよそロクなことがない。
 後日。平然と登校してきたY君。開口一番、

 「いやぁ〜、急性アル中で入院しちゃったよぉ。」

 「もう大丈夫なの?」

私が尋ねた。

 「うん。ただ、誰か二人に世話してもらったらしいんだけど、それがわかんないんだよなぁ〜」

脳天気に喋るにY君にちょっとカチンと来た私。当分の間悩んでもらうため、「それは俺とMだ!」とは言わず、

 「そうなんだぁ、誰だろうなぁ・・・・」

としらばっくれてやったのである。もちろんM君も賛同してくれた。
 どこから知ったのか、彼の口から礼の言葉が聞けたのはそれから1週間ほどしてからだった。

 「にしても、なんだよう。お前も人が悪いなぁ・・・・」

って、悪くもなるわいっ!!!ボケッ!!

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